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名古屋高等裁判所 昭和48年(ネ)540号 判決 1974年5月23日

控訴人 国

指定代理人 伊藤賢一 外三名

被控訴人 松原運送株式会社

訴訟代理人 小山斉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人指定代理人は「原判決を次のとおり変更する。被控訴人は控訴人に対し、金一、二五八、五四二円および内金三三、七七五円に対する昭和四〇年九月三日から、内金二九、五四〇円に対する昭和四〇年一〇月二九日から、内金二八、九八六円に対する昭和四〇年一〇月三〇日から、内金八七、〇一一円に対する昭和四〇年一一月一三日から、内金一四〇、七九九円に対する昭和四〇年一二月四日から、内金一一一、〇八二円に対する昭和四〇年一二月二三日から、内金一六二、八九一円に対する昭和四一年一月二二日から、内金一六七、二〇九円に対する昭和四一年二月二二日から、内金九八、九三七円に対する昭和四一年三月二九日から、内金九三、六二二円に対する昭和四一年五月一四日から、内金四七、二四八円に対する昭和四一年六月一日から、内金三二、六七二円に対する昭和四一年六月二九日から、内金三五、六九五円に対する昭和四一年七月二二日から、内金一四四、三二〇円に対する昭和四一年一〇月二八日から、内金一九、〇二九円に対する昭和四一年一一月二六日から、内金一五、〇四三円に対する昭和四一年九月三〇日から、内金二、二〇三円に対する昭和四一年一二月二一日から、内金一、六六一円に対する昭和四二年二月二四日から、内金一、六九一円に対する昭和四二年二月二四日から、内金三、二五八円に対する昭和四二年四月二二日から、内金一、八七〇円に対する昭和四二年四月二八日から各支払ずみまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、被控訴人訴訟代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(別紙1、2を含む)。

一、控訴人の主張

(一)  本件事故は専ら加害者の一方的過失によつて発生したものであり、被害者には全く過失がない。

即ち、本件加害車両の運転者永田芳一は、本件事故の約四〇分前、空腹状態において日本酒一合五勺を飲み、全身に酒気がまわつた状態で加害車両を運転し、事故現場の制限速度は時速四五キロメートルであるのに時速六〇キロメートルで走行し、本件交差点の南側にはこれに接して横断歩道が設けられており、かつ左方道路は家屋にさえぎられて見通しが悪いのであるから、同交差点を通過する場合は減速徐行する義務があるのにこれを怠り、被害者の自転車が先に交差点に入つたのであるからその進行を妨げてはならない義務があるのにこれを怠り、前方三八メートルの地点に被害者である訴外石原を認めながら警音器を吹鳴することもなく時速六〇キロメートルで進行を続け、右被害者の手前二〇メートルに迫つてはじめて急制動の措置をとり、さらに、右措置とともに左に転把するか、あるいはそのまま直進すれば被害者との衝突を避けることができたにもかかわらず、逆に右に転把したため、結局被害者の自転車後部に自車を衝突させたものであり、過失は一方的に右永田にある。

これに対し、被害者石原は、日常しばしば本件交差点を横断していたので、加害車両が進行する国道四一号線は本件交差点附近において最高速度を時速四五キロメートルに制限されていること、本件交差点には信号機がなく、かつ左右の見通しが良くないので、右国道を進行して本件交差点を通過する車両は、交通法規に従い減速徐行するのが通常であることを認識していたものであり、従つて、本件加害車両についても当然それが交通法規に従つた走行をするとの信頼に基づいて横断可能と判断したのである。そして、その判断が正当であつたことは、衝突地点が国道の加害車両通行帯を被害者が横断し終ろうとする〇・六メートル手前であり、しかも被害者の自転車後部に加害車両の右前部が衝突していることからも明らかである。即ち、かりに加害車両が時速六〇キロメートルで走行することなく、制限速度である時速四五キロメートルを遵守していたならば、被害者が右衝突地点を無事通過後に加害車両が同地点を通過することになり、その結果本件事故は発生していなかつたはずであるから、横断についての被害者の判断に誤りはなかつたといわなければならない。

(二)  かりに被害者である訴外石原に幾分かの過失があり、賠償額の算定においてこれを斟酌すべきものとしても、右石原は、控訴人が同人に対し療養費等を給付した時点において、被控訴人に対し、過失相殺による減額を考慮してもなお後述のとおり少くとも金三、六五八、五四二円の損害賠償請求権を有しており、この金額は控訴人の給付額一、二五八、五四二円を上廻るものであるから、控訴人が代位によつて取得した債権額は右損害賠償請求権のうち自己の給付額全額と同額である。

即ち、訴外石原が本件事故による受傷を原因として蒙つた損害は、治療費として一、二五八、五四二円を要したことに止るものではなく、ほかにも得べかりし利益の喪失による損害、精神的苦痛による損害などがあり、これらの損害に対する賠償分を含めれば、同人が被控訴人に対し取得する損害賠償請求権の額は、多少の過失相殺をしたとしてもなお被控訴人の給付額である一、二五八、五四二円を上廻ること明白であり、石原と被控訴人との間の本件事故に基づく損害賠償請求訴訟において、被控訴人は石原に対し金二、四〇〇、〇〇〇円を支払う旨の和解が成立したこともこのことを物語つている。右和解は、損害賠償請求権の一部が代位によつて控訴人に移転していることを前提とし、また、かりに被害者にも過失があるとすれば過失相殺も考慮したうえ成立したものと考えられるが、それでもなお被控訴人は石原に対し金二、四〇〇、〇〇〇円の支払義務を認めたのであるから、控訴人が一部を代位取得する時点においては、石原は被控訴人に対し、少くとも控訴人が給付した療養費等相当額である金一、二五八、五四二円と右和解金額二、四〇〇、〇〇〇円とを合計した金三、六五八、五四二円の損害賠償請求権を有していたとみることができる。

訴外石原の有した損害賠償請求権の額は以上のとおりであるところ、同一事故によつて生じた同一の身体傷害を理由とする損害賠償請求権は一個であると解されるから(最判昭和四八年四月五日民集第二七巻第三号参照)、代位の目的たる権利の範囲は、一個の債権たる右損害賠償請求権の全部であつて治療費相当部分に限定されるべきものではない。

二、被控訴人の主張

控訴人が訴外石原に療養費等を給付したことによつて同人の有する損害賠償請求権の一部を代位取得したとしても、石原の有する損害賠償請求権は過失相殺を受忍せざるを得ない瑕疵を帯有するものであるから、その一部が代位によつて移転する場合においても、代位取得される債権には当然同様の瑕疵が付着しているものと解すべきである。

なお控訴人の援用する前記判決は訴訟上一部請求があつた場合には一個の訴訟物である全損害に基づく損害賠償請求権についての過失相殺を経たうえでその当否を判断すべきであるというものであり、損害の一部填補による代位の時点で右の過失相殺の操作をなすべきことを判示したものではない。

原裁判所が訴外石原の損害賠償請求権の一部請求ともいうべき本件訴訟を審理するに際し、同時に訴外石原からのいわば残部請求訴訟も同一裁判所に係属しており、両者につきほぼ同時に和解勧告がなされたところ、石原と被控訴人間の訴訟は過失割合を加害者側七〇%、被害者側三〇%とみる原裁判所の勧告に従つて、控訴人主張の代位分を除く損害額を確定したうえ、被控訴人が石原に対し金二、四〇〇、〇〇〇円の損害賠償債務を認めることで和解が成立したが、本件訴訟は控訴人において右勧告案を不満としたため和解成立に至らなかつたものである。このような事例の解決にあたつては、債務者に対し本来的債務以上の負担を与えてはならないという配慮を第一とすべきであり、代位による一部請求者と残部請求者との間の問題は両者間の調整で解決されなければならない。

理由

一、訴外永田芳一は、昭和三九年一二月二六日午後九時五分頃、大型特殊自動車(タンクローリー車、以下加害車両という)を運転して、愛知県小牧市大字南外出一五〇〇番地先国道四一号道路を進行中、交差道路の左方から交差点に進入し国道を横断しようとした訴外石原章麿乗用の自転車に自車を衝突せしめ、よつて同人に対し頭蓋骨皹裂骨折、右大腿骨骨折等の傷害を負わせたこと、被控訴人は当時右加害車両を自己のために運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。

二、被控訴人の免責の抗弁について

被控訴人は免責の一要件として前記永田の無過失を主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。かえつて、原本の存在と成立に争いのない乙第三、第四号証、第七ないし第九号証、第一一、第一四号証によれば、加害車両通行道路は本件交差点附近において最高速度が時速四五キロメートルに制限されていたこと、加害車両は時速六〇キロメートルで本件交差点にさしかかつたこと、加害車両の運転者は前方約二〇メートルの地点に国道を左から右へ自転車で横断中の被害者を発見し、急制動の措置をとつたが及ばず被害者の自転車後部に自車右前部を衝突させたものであること、右衝突地点はセンターラインの左側数十センチメートルのところであり、被害者は加害車両通行帯から脱出する寸前に衝突されたものであることが認められ、この事実から、かりに加害自動車の急制動時における速度が時速四五キロメートルであつたならば、急制動による減速効果はより大きく現われ、その結果被害自転車は加害車両と衝突することなく無事その前面を通過できていたであろうとの推論が可能であり、このことは加害車両の右速度違反と本件事故との間に因果関係が存在することを意味するから、本件事故は加害車両の運転者である永田の過失がその一因となつていることを認めることができる。

そうすると、その余の点について判断するまでもなく被控訴人の免責の抗弁は理由がなく、被控訴人は加害車両の運行供用者として、自動車損害賠償保障法第三条により、前記石原が本件事故による受傷に起因して蒙つた損害につき賠償責任を負うといわなければならない。

三、損害

成立に争いのない甲第四号証の一ないし四によれば、前記石原は本件事故によつて負傷したため、金一、二五八、五四二円に相当する治療を必要としたことが認められ、従つて、同人は本件事故により治療費関係だけでも右と同額の損害を蒙つたことを認めることができる。

同人が蒙つた損害が右に止るものでないことは証拠上もうかがわれるところであるが、本件において右以外の損害の額を算定することは、後記第六項に述べるところから不必要と解する。

四、損害の填補

成立に争いのない甲第五号証の一ないし九、原本の存在および成立に争いのない乙第五、第一六号証によれば、前記石原は航空自衛隊第三航空団第一〇二飛行隊に所属する自衛官であり、本件事故による受傷は公務によらない負傷であるところから、控訴人は、防衛庁職員給与法第二二条の規定に基づき、石原の負傷の治療のために要する費用を、原判決別紙1、の支払年月日欄記載の日に、同支払金額欄記載のとおり支給し、その結果、前項に認定した石原の損害は全額填補されたことが認められる。

五、控訴人の代位

控訴人が石原の損害を填補したことによつて石原の被控訴人に対して有した損害賠償請求権を代位取得するものであるか否かについては、防衛庁職員給与法が労働者災害補償保険法第二〇条、健康保険法第六七条、国家公務員共済組合法第四八条のような規定を有しないため疑義の存するところであるが、防衛庁職員給与法第二二条の規定に基づく給付は自衛官等についてその疾病または負傷の際の療養を充分ならしめることを目的としてなされるものであつて、右の療養を要したことにつき損害賠償責任を負う第三者の負担軽減を目的とするものではないと解せられ、右給付によつて不法行為者あるいは自動車運行供用者として損害賠償責任を有する者が終局的にその義務を免れるとすることには合理性を見出すこともできないから、右給付についても、民法第四二二条および前記労働者災害補償保険法第二〇条等の規定を類推して、給付者は給付額の限度で加害者に対する損害賠償請求権を代位取得すると解するのが相当である。

そうすると、控訴人は石原に対し前記第四項に認定したとおりの給付をしたことにより、石原が被控訴人に対して有した損害賠償請求権を、給付の都度代位取得したものといわなければならない。

六、代位取得の範囲について

控訴人は、同一事故によつて生じた同一の身体傷害を理由とする損害賠償請求権は一個であるから、前項の代位は全損害を理由とする一個の損害賠償請求権について生じ、従つて、賠償額を算定するにつき過失相殺がなされるべきときでも全損害額につき過失相殺による減額をした金額が、控訴人の給付額を上廻る限り、控訴人は給付額全額に等しい損害賠償請求権を代位取得すると主張する。

しかしながら、右見解によれば、国は自衛官に対し名目上その治療費全額の給付をしたとしても、当該自衛官にとつては、加害者に対する損害賠償請求金額を算定する際、右給付額が全損害について過失相殺をした後の金額から控除されるため、結局国からの給付についても実質的に過失相殺をされたのと同じ結果になり(もつとも本件では右のような結果は生じていないと考えられるが、それは石原と被控訴人との間の訴訟が控訴人の見解と異る見解に基づいて処理されているからである)、このことは防衛庁職員給与法第二二条による給付が、自衛官についてその疾病または負傷の際の療養を充分ならしめることを目的としている趣旨に反するものといわなければならない。本来加害者と被害者の間の公平を維持するために機能すべき過失相殺が、専ら被害者の福利増進を目的とする給付について実質的に同様に機能することとなり不当であるのみならず、自衛官本人の責にのみ帰せられるべき疾病または負傷について給付する場合と実質的に権衡を失することとなる。

この問題に関し、当裁判所は次のように解する。

同一事故によつて生じた同一の身体傷害を理由とする損害賠償請求権の個数を一個と考えることは、権利行使の場面においては一般に合理性を有し、かつ、権利者の通常の意思に合致するものであるが、権利移転の場面においては、必ずしも常に合理的な結果をもたらすとは限らないから、場合によつて右単一性の理論に修正を施す必要があると考える。控訴人が援用する判例も権利移転の場面におけるこのような理論の修正を許さない趣旨とは解せない。

本件についてみるに、防衛庁職員給与法第二二条による給付の制度は、負傷あるいは疾病から生ずる損害一般の填補を目的とするものでなく、治療費の負担から生ずる損害の填補のみを目的とするものであるから、第三者に対する損害賠償請求権の代位取得を考える場合にもこれに対応して、代位の前提として当該治療費の負担を理由とする損害賠償請求権が全損害に基づく損害賠償請求権から分離し、一個の独立した損害賠償請求権となつて移転すると解すべきである。

このように解すると、控訴人は石原から、原判決別紙1、記載の給付の都度、同人が被控訴人に対して有した本件事故による受傷を理由とする損害賠償請求権のうち、右給付によつて填補されたところの治療費の負担を理由とする部分を、それぞれ一個の権利として代位取得したというべきである。そして、各取得金額は、同別紙支払金額欄記載の各金額につき後記過失相殺による減額を施した金額となる。

七、過失相殺について

前記乙第三、第四号証によれば、本件交差点は、国道の幅員が交差道路の幅員より明らかに広いことが認められるから、交差道路を通行していた被害自転車としては、国道を通行していた加害自動車の進行を妨げてはならない義務があつたものといわなければならない。

しかるに前記第二項に認定した事故の態様からすれば、かりに加害車両が時速四五キロメートルで進行していた場合を仮定しても、石原の交差点進入は加害車両に急制動を強いるものであつたと認められるから、石原にはこの点で交通法規違反があつたといわなければならない。

加害車両の運転者の過失は前記第二項に述べたとおりである。

なお、本件交差点は左方の見とおしが悪いが、加害車両通行道路は交差道路より幅員が明らかに広いこと、また、本件交差点に接して横断歩道が設けられているが、当時歩行横断者はなかつたと認められることから、加害車両としては制限時速四五キロメートルより、さらに減速する義務はなかつたといわなければならない。

以上の点を斟酌すると、本件賠償額の算定に当つては、過失相殺として損害額からその三〇%を減じた金額をもつて賠償額と定めるのが相当である。

八、時効について

被控訴人の消滅時効の抗弁および控訴人の時効中断の再抗弁に対する当裁判所の判断は、原裁判所のそれと同じであるから、原判決理由第五項1、2の記載をここに引用する。

九、そうすると被控訴人は控訴人に対し、損害賠償金として合計金八八〇、九七一円およびこれに対する遅延損害金として原判決別紙2の金額欄記載の各金額に対する同年月日欄記載の各日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による金員を支払う義務があるといわなければならない。

よつて、控訴人の請求を右の限度で認容し、その余を棄却した原判決は正当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 綿引末男 裁判官 山内茂克 裁判官 清水信之)

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